-コラム『学思堂』開設にあたり-

※「子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。」(『為政』第二、十五)
※子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。
※先生は言われた「書物や先生から学ぶだけで、自分で考えないと、混乱するばかりです。また、

 自分で考えるだけで人から学ぼうとしなければ、考えが凝り固まってしまい危険です」と。

 今月からこのコラムをスタートします。当院の先生方が交代で担当し、折々に思うことを記させていただきます。みんなであれこれと考えた末、『学思堂』と名付けました。その由来は、皆さんご存知の上記の『論語』の一節からです。
 今日、世の中はITが目覚ましい発展を遂げる一方で、個々人の生活を含め世の中はますます複雑になっています。ネット上には世界中の情報が溢れ、日本と同様に、中国では“低头族”(俯いてスマホばかりいじっている人たち)や“有问题找百度”(なんでもネット検索で事を済ませてしまう)という言葉まであります。朝目覚めてから夜寝るまでネットで様々なニュースや情報を検索し、食事時にはまず写真を撮ってアップすることに忙しい。こうしたペースで生活していると、ともすると「考えること」も「味わうこと」も疎かになってしまいがちです。これがすなわち現代の『罔し』であり、『殆し』でもあります。
 日本、とりわけこの地“福山”は、古くから『論語』に慣れ親しんできました。また巷にはいろいろな『論語』に関する本が溢れています。読みやすい本もたくさんあります、たまには『論語』を紐解いてみませんか。そこには、二千五百年の時空を超えて、この複雑な現代を見据える“眼”を養うヒントがたくさんあるに違いありません。また、これから到来するAI(人工知能)時代に“人”がいかに対応していけばより良い世界が拓けるかの“解”もあると思います。
 そんな思いを込め、このコラムを『学思堂』と名付けました。

(学院長 平山 亮)