『知行合一(チギョウゴウイツ)』の精神で中国語を学ぶ

 私の母校である上海師範大学には東側のキャンパスに、学思湖(ガクシコ)があります。詩情豊かでまるで絵のような風景の中の湖の中に小さな素敵な島が浮かんでいて、その島の中央の築山(つきやま)の前には草の絨毯が広がっています。そこに、教育者として有名な陶行知(トウコウチ)(1891~1946)の像が坐っているのです。
 上海師範大学では、2007年1月に陶行知研究センターが立ち上げられ、その時に白玉で彫られたその“人民教育家陶行知”の坐像ができました。東側のキャンパスでの授業を終えて研究室に戻るとき、私は学思湖の畔(ほとり)にやってきて、その坐像の前を通り過ぎる度に、陶行知先生は恰も自愛に満ちた長老のように入れ替わり立ち代わり訪れる春夏秋冬の中を私と一緒に歩いてくださっているかのようでした。彼の教育思想はそのようにして上海師範大学の我々を教育者として、また、学び続ける者として励ましてくれているようでもあります。
 郭沫若(カクマツジャク)はこんなことも言いました。「二千年前に孔仲尼(コウチュウジ)(=孔子)ありて、二千年後に陶行知あり。」
 中国思想史でよく知られていることですが、“知行(チギョウ)”は明代の思想家王陽明(オウヨウメイ)の哲学重要な概念であり、物事の道理を認識することと、現実の中でその道理を運用することのその二つは切り離してはいけないという意味だと思います。
 陶行知は、大学在籍中に王陽明の“知行合一”を信奉したので自分の名前を“知行”と改めました。彼は西洋の教育思想を研究し、それを中国の国情と結び付けて“生活即ち学校”、“社会即ち学校”、“教学習と行為(実践)の一体化”という三つの主張をしました。いわゆる“生活教育理論”が彼の理論の核心だったのです。そして、その理論において“知行合一”を提唱したのですが、「“行”は“知”の始めにして、“知”は“行”の完成なり。」と考えたのです。“行”は行動であり実践であって、自ら体験すべきもの。“知”は知識であり、特には理論や知識の学習を意味します。この考え方が、彼が後に自分の名前をさらに“行知”と改めた理由だと思われます。彼は、自分自身で知ることを重視しましたが、それは自らの“行”から得られるものであるということなのです。単に知識・情報として知るのではなく、先生から教わるとか、書物から得るとかだけではなくです。
 彼の教育思想は、みなさんの中国語や中国文化の学習においてもやはりとても重要だと言えます。中国語教師としての30数年間の経験の中で、私は常に“正確かつ簡潔に説明して、たくさん練習させる。”ということを自分の教学の原則としてきましたので、学生にも“できるだけ多く中国語をしゃべり、できるだけ多く練習すること”を求めてきました。日本の中国語学習者も、この“知行合一”に則って学習に臨んで下さることがとりわけ肝要なことだと思います。

副学院長  石 慧敏(セキ ケイビン)

 在我的母校—上海师范大学东部校园,有个充满诗情画意的学思湖,环形小湖里有座精致的小岛,小岛中央有一座假山,假山前面的草坪上树立着著名教育家陶行知(1891-1946)先生的坐像。上海师范大学于2007年1月成立了陶行知研究中心,并于中心成立之际,塑造了这尊由汉白玉雕刻而成的“人民教育家陶行知”塑像。每次从校园东部下课回研究室,我都会来到学思湖畔,走过陶行知坐像,行知先生就像一位慈祥的长者陪伴我走过春夏秋冬,而他的教育思想也激励着我们师大人的为师为学。郭沫若曾这样评价他: “二千年前孔仲尼,二千年后陶行知”。
 熟悉中国哲学的人都知道,“知行”是中国明朝思想家王阳明提出来的一个哲学概念,意思是“认识事物的道理”与“在现实中运用此道理”,这二者密不可分。
 陶行知大学期间因推崇王阳明的“知行合一”学说,取名“知行”。他研究西方教育思想并结合中国国情,提出了“生活即教育”、“社会即学校”、“教学做合一”三大主张,生活教育理论是陶行知教育思想的理论核心。他在生活教育论中倡导“知行合一”,但他认为“行是知之始,知是行之成”。“行”,是行动,是实践,是亲身体验。“知”,就是知识,在这里应该是“学习理论知识”的意思。这也许就是他后来改名为“行知”的理由吧!陶先生强调要“亲知”,也就是要从“行”中得来,亲身得来,而不仅仅是“闻知”,即从老师那儿得来,或从书本中得来。
 其实学习汉语、汉文化也同样如此。作为一名汉语教师,在30多年的汉语教学经历中,我始终践行“精讲多练”的教学原则,尽量让学习者多讲多练,而作为日本的汉语学习者也要领会“知行合一”的精髓,既要在课堂上跟着老师认真学习,还要在实践中多多练习,多找机会大胆运用。“知行合一”才是最好的学习方法。

(副学院长 石慧敏)