中国人の姓と名

 中国人の姓と名のあり方は如何なるものか。漢姓を中心に紹介していきたい。

 苗字の数については定説がないが、ある統計によると1万個以上あると言われ、一時文献に出ていたが、後に消えてしまったものも少なくはないという。今使われている漢姓は約3000種類あり、この中で100ぐらいが常用のものである。姓のうち、一文字の姓を「単姓」で、二文字以上のものを「複姓」という。単性が多数を占めており、復姓には「欧陽、司徒、司馬、諸葛、端木、上官、令狐、皇甫、夏侯、公孫、鐘離、慕容、南宮、東方、東門、西門、呼延、中行、羊角、長孫」といったものが挙げられる。三文字以上の「複姓」は非常に珍しくて漢姓ではほぼ見当たらない。また、姓として使われる場合は、普通と違った読み方をする漢字もあるので注意が必要である。例えば、種(chóng、zhǒng)、不(fǒu、bù)、句(gōu、jù)、黒(hè、hēi)、角(jué、jiǎo)、会(kuài、huì)、牟(móu、mù)、能(nài、néng)、区(ōu、qū)、折(shé、 zhé)、洗(xiǎn、xǐ)、解(xiè、jiě)、員(yùn、yuán)、 査(zhā、chá)、単(shàn、dān)などの類である。(前者は姓としての読み方で、後者は普通の読み方。)

 最新の統計によれば、上位5つの姓は王(9468万人)、李(9276万人)、張(8550万人)、劉(6882万人)、陳(5673万人)となっている。

 姓の由来は、原始社会の部落の首領の名を姓としたもの、古来人々が拝んだ動物の名前を姓としたもの、祖先の国や爵位、官職名などを姓としたもの、住んでいる地域の方位や周囲の景物などを姓としたもの、職業を姓としたもの、などさまざまである。

 姓名の語順は簡単で、姓が先で名が後に置かれる。名は二字のものが最も多くて、次いでは一字のものもある。従来、一家族の同世代の兄弟や姉妹の名には共通した一字をつける習わしがあった。これは家族における長幼の序列を明確にするもので、名前の第一字は必ず宗族が決めた字を用いなければならない家族が多かった。そうして、宗族間の親戚関係や対人呼称などが自ずと分かり、家族の絆もより強固なものになるのである。しかし、一人っ子政策、人口の流動化、名づけの個性重視などの影響で、そういうネーミングの方法に拘らない家庭も数多くあった。

 「名」以外に「字」(あざな)または「号」(ごう、「別号」とも)をつける人もいた。「字」は成人した時に(昔は男子20歳、女子15歳)家族が付けてくれるもう一つの呼び名である。「字」にはその人の人徳を称賛し、又は出世してほしいという期待が込められていた。昔の人はほとんど、「名」と「字」の両方を持っていた。例えば、孔子は名が「丘」、字が「仲尼」である。自ら名乗る時には「名」を使い、他人を呼ぶときにその人の「字」で呼ぶのが普通だった。1919年に勃発した新文化運動によって、一人一名制度が提唱され、「字」をつける習慣が次第に廃止されてしまったのである。

 更に、昔の文人たちは、「字」以外に「号」をつける人も多くて、それを文章や書画など創作発表する際に使用していた。言わば、現代のペンネーム、筆名に当たるものである。「号」は自ら付けて、パーソナリティーなどを示すものが多く見られる。唐の大詩人李白は名が「白」、字が「太白」、号が「青蓮居士」であり、北宋の文学者蘇軾(そしょく)は、名が「軾」、字が「子瞻(しせん)」、号が「東坡居士」で、後世の人は、彼のことを蘇東坡(そとうば)と呼ぶことが多い。「居士」は出家をせずに家で修行を行う仏教の信者のことであり、唐、宋の時代にどれだけ仏教が盛んであったかが窺える。「居士、山人、隠士、道人」など隠逸志向を匂わせる言葉は「別号」として文人たちに愛用されていた。

 現代中国人の名には何かの意味を含む漢字が多く使用されている。例えば、たくましく育ってほしいという親の希望を示す「健康の健、偉人の偉、英雄の雄、豪傑の傑、剛胆の剛、天に昇る龍」とか、綺麗で淑やかな女の子になるようにという親の期待が込められた漢字には、「華麗の麗、みやびの雅、佳人の佳」といったようなものが挙げられる。

 中国では「夫婦別姓」で、子供は父親かまたは母親のどちらかの姓を名乗らなければならないという決まりがある。最近は、同名になることが回避できるように、父親と母親の姓を組み合わせ「子供の姓」にして名前を付けるケースもあるが、ただし、法律では新しい「複姓」とは認められておらず、やはり最初の一字だけは子供の姓としてみなされている。最も人口が多い姓名の上位3つは張偉、王偉、王芳で、どれも30万人前後の使用人口を有しているが、中国では皆マイナンバーを持っているので、社会生活を営む上ではさほど支障が生じることがないだろう。

 昔は女性の社会的地位が低かったので、一部の人は苗字だけで、名はなかった。結婚後、自分の苗字を旦那さんの苗字の後ろに付け加えて、例えば、劉家の娘が趙家に嫁入りしたら「趙劉氏」と呼ばれていた。

 名付けにはいろいろなタブーも存在していた。皇室、貴族、高官、祖先、親、尊敬されるべき人などの名前を直接に口に出すことは禁物で、そういう人達の名の漢字を自分の子供の名前に使うことも認められなかった。

 歴史上の人物、あるいは文学作品の主人公の名前に、特別な意味を付与されることがあり、これらは一種の文化的符号と言えよう。例えば、「西施」は春秋時代(紀元前770年~紀元前476年)の越国の美人で、後になって美人を象徴する言葉になっている。また小説『三國演義』のキャラクターとして登場する三國の豪傑勇将の関羽は、義を重んじるシンボルで、彼を記念するために各地で関帝廟が建立されている。一方、同じ時代の諸葛亮は知恵を備え、賢明な知恵者で計略に富む人の化身になっており、「三个臭皮匠、顶个诸葛亮」(三人寄れば文殊の知恵)の格言として言い伝えられている。これらの言い回しを修辞手段として文章などに使用すると、言葉を生き生きさせることができるのみならず、言葉に秘められた深層的で文化的意味の理解にもつながるに相違あるまい。

 昔から姓に関する資料を蒐集し、それぞれのルーツや人口分布などを検証する書物は数多く刊行されているが、最も影響力が大きかったものは『百家姓』である。この本は今から千年ほど前の北宋時代(960年~1127年)の初頭に編纂され、作者は不詳である。後世に追加された部分も含め、現在の流布本には単姓444、二字の復姓60の合計504個の漢姓が掲載されている。韻を踏みながら4文字を1句として書いており、しめくくりの「百家姓終」という文言を含め全体で568文字となる。『百家姓』は学びやすく覚えやすいため、『三字経』や『千字文』と同様に私塾の啓蒙教育などで学童に漢字を教える学習書の一つとしても広く利用されていた。宋の国姓は趙であったので、趙の苗字から書き出されている。冒頭の部分はこんな具合である。「趙銭孫李、周呉鄭王。馮陳褚衛、蔣沈韓楊。朱秦尤許、何呂施張。孔曹厳華、金魏陶姜。⋯」(掲載部分は全て単姓)。

 家族の結束やコミュニケーションを図るため「族譜」を編纂、又は改訂・増訂する作業が昔から各地で盛んに行われている。「族譜」とは同姓一族の家系図に当たり、家族のルーツ、血縁関係、構成序列、親族関係、重要人物、重要事件、人口流動などを記載した文書である。「族譜」にはその一族の家訓なども載せられている。なお、最近では社会的気風をより豊かにするために、代々承継されてきたその家その家の「家訓・家風」の重要性を改めて意識するようになっている。

2020年11月 
                 福山大学孔子学院副学院長(中方院長)
郭 徳玉 記