『楽』について最近思うこと

 新年がスタートしました。『平成』という年号もあと1年4か月ということですが、それでなくとも「対立」や「分断」「リスク」といった緊張を強いられる言葉が飛び交っているこの頃、更には2020年の東京五輪への準備もあり、色々と慌ただしい年になりそうです。
 孔子が生涯を過ごした時代も、春秋から戦国時代への過渡期で、まさに「下剋上」の厳しい時代でした。また生い立ちから不遇であり、社会的な地位にも恵まれませんでした。しかし公的には認められることがなく、悲観主義や怨恨(ルサンチマン)に陥ってもおかしくないのに、孔子は「教育」という生きがいを忘れず、私的(プライベート)には、詩や音楽、釣り,狩りなど、多趣味であったと言われています。

 40数年前大学に入り中国語を学び始め、「辞典」「字典」との悪戦苦闘の毎日が始まった頃(勿論その時代電子辞書なんていう便利なものはありません)、「楽」という字を引いて、“le”と“yue”という二つの発音があることを知った時のことをよく覚えています。(考えてみれば、日本語でも「らく」と「がく」があるので当然な話なのですが)

 論語にも“le”と”yue”が出てきます。まず“le”(らく:楽しむこと、楽しみ)について。
 当学院の活動の一つに「楽之会」があります。年に数回、中川美術館の中川健造先生をお迎えして、論語をはじめとする故事や文化に関する様々なことを学んでいます。
 名前の由来は、次の一節からです。
「子曰、知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者。」(雍也第六の二十)
 ※「子曰く、之れを知る者は、之れを好む者に如かず。之れを好む者は、之れを楽しむ者に如かず」
 ※「孔子は言った。ある物事について、それを単に知っている者は、それを好む者には及ばない。しかし、それを好む者だって、その物事について楽しむ者には及ばないのだ」
 緊張を強いられる毎日にあっても、物事を楽しむ余裕を持つことの大切さを説いています。

 次に“yue”(がく:奏でること)について
「子曰、興於詩、立於礼、成於楽」。(泰伯八)
※子曰く、「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」
※「孔子は言った。詩を学んで人としての心をふるい起こし、礼を学んで人としての行いを確立し、音楽を学んで人間を完成させるのである」
 学生時代や社会人になりたてのころ、オーケストラでホルンを吹いていました。音楽はクラシックやジャズなどジャンルを問わず大好きです。しかし、歳のせいか、近頃はめっきり音楽を聞く機会が減ってきました。うれしいことに最近、何度か中国民族楽器による演奏を聞く機会がありました。いずれも若い演奏者の力量が素晴らしく、大感激でした。演奏曲の多くは古くから伝わる曲調を基本にした新古典とも言うべきもので、古箏や楊琴、月琴、琵琶、笙などの奏法自体にも新しさを感じました。孔子は『楽』を好み、それを通じて礼節を重んじましたが、その伝統が今も脈々と受け継がれているのだろうと感じました。

 改めて、「音楽を楽しむこと」の大切さを感じるこの頃です。

平山 亮 記