『機会は、常に備えある人にもたらされる』

 WeChatでかつてこんな話がかけめぐったことがあります。孟宗竹は4年もかけて3cmしか伸びない。ところが5年目からは毎日30㎝という猛烈な速度で成長を始め、わずか6週間で15mの高さに達する。実は4年の間孟宗竹は成長していなかったのではなく土壌のなかで数百㎡もの根を張っていたのである。人の成長も物事をなすこともまた斯くの如し。汗をながしたことに今見返りがなくても心配するにはおよばない、この労苦は根を這わすためのもの。人生には蓄積が必要なのだ。3㎝伸ばすことのできる人が何人いるだろうか。

 私の人生経験は、「蓄積」という言葉で手短に表すことが出来ると思います。三十数年に亘る教師としての経験から言えることは、機会はいつも蓄積がある人に与えられるということです。学士から修士、そして博士へ、と私は上海師範大学で育ったいわば「生え抜き」です。1985年に中国語学科を卒業後から教学生活が始まりましたが、できたばかりの対外漢語教育研究室に配属され、対外漢語との縁ができました。多くの同級生同様、中学から大学まで学んだ外国語は英語だったのですが、私が最初に教えることになった留学生のほとんどは日本からの留学生でした。留学生に教えるに際し、中国語で中国語を教えるという方法が重要視されていた訳ですが、教学における効果を高めるためと、学生との交流をもう少しうまく行うためには、日本語も少し勉強しなければと考え、大学で行われている「教師向け日本語研修クラス」に申し込み、学習することにしました。その後、時とともに、日本語もめきめきと上達しました。動機は非常に単純なものでしたが、これがその後の自分の蓄積となるとは思いもしませんでした。たまたま半年後に設立された上海日本人学校で、中国語の教師を募集していることを知りました。私は、厳しい選考を経て、上海市外国機関人員服務処に採用され、上海日本人学校に派遣され、初代の中国語教師となったのです。

 米国の思想家、詩人であるエマーソンはこう言っています。やることがあり追及することがある限り、人は機会という車輪をしっかりとつかむものだ。数年の教師としての経験をふまえ、私は日本人の小中学生用に「たのしく学ぼう中国語」を出版し、それがその後何年にもわたって上海の日本人学校で使われることになりました。一方、成人向けの中国語教育とは異なる視点があることから、2003年に「中国で生活する日本人中学生の中国語学習心理に対応した外国人向中国語教育法研究」というテーマを申請して、国家漢弁の第十次5か年計画での科学研究プロジェクトとして認定を受けることとなりました。

 上海師範大学での受け入れ留学生数が増加し国際化の規模も拡大することとなり、大学側も教員に対する国際化を重要視するようになりました。1994年5月、私は、東京にある昭和女子大学に1年間の研修に行くこととなりました。この時娘が幼稚園に通う年齢でしたが、来日には家族の理解を得ることができました。研究テーマは日中言語対照に関するものでしたが、この1年間の研修で視野が広がり、認識が深まり、日本語の能力も向上させることができました。帰国後、外国人向中国語教育、特に日本人向けの中国語教育法に重点を置いた教育法に一定の方向性を見出すことができ、大学からの要請もあり半年後に、日本人留学生向けに「日中通訳」講座を開設することとなりました。 
 まさにこれまでの日本語における蓄積があったからこそ、このような機会に恵まれ、足跡を残し、成果もあげることが出来たのだと思います。

 蓄積というものは、知識だけでなく、技能もあり、個々人が絶え間ない努力をすることが必要です。(中国のことわざに)「金无足赤,人无完人」(金に純金が存在しないように,完全無欠な人間などは存在しない)というのがあります。ある日 『开讲啦(講義始めるよ!)』 というテレビ番組に出演していた劉徳華(アンディ・ラウ)が次のようなことを言っていました。後天的な努力をすれば人は自分の欠点を改善することができ、成功を手にした愛すべき人間になることができる、と。これを聞いて私は、若者が教養の蓄積を図ることが今後ますます大事になる、と思いました。 
 つまり、蓄積とは成長することです。孟宗竹のように最初の4年間に、根を深く、広く、丈夫に張る。このような蓄積をすれば挫折も失敗も恐れることはありません。なぜなら、機会は常に蓄積のある人にもたらされ、蓄積のある人はどのような機会も物にすることができる能力を身に付けている、ということです。

福山大学孔子学院副学院長 石慧敏


 微信上曾经疯传过这样一段话:毛竹用了4年的时间,仅仅长了3厘米。从第5年起,以每天30厘米的速度疯狂地生长,仅用了六个星期就长到了15米。其实,前四年,毛竹不是没长,而是将自己的根在土壤里延伸了数百平米。做人做事亦是如此。不要担心你此时此刻的付出得不到回报,因为这些付出都是为了扎根。人生需要储备!多少人,没熬过那3厘米!这是一段励志的话,我非常欣赏其中的一个词——“储备”。

 我的人生体验,也可以对“储备”一词做一个诠释。三十多年的教龄告诉我:机会,总是给有储备的人。从学士到硕士、再到博士,我是上师大这块沃土上土生土长的“土特产”。1985年我中文系毕业后留校任教,进入刚刚组建的对外汉语教研室,从此与对外汉语教学结缘。跟许多同学一样,从中学到大学学的外语是英语,可我最初教的学生几乎都是来自日本的留学生。我们强调教留学生应该“用汉语教汉语”,但为了能在教学中有的放矢,为了更好地与学生交流,我想应该学点儿日语,于是报名进入上师大“教师日语进修班”学习。日积月累,我的日语听说能力提高得很快。起初的动机很简单,没想到后来这成了我的一个储备。半年后一个偶然的机会,刚成立不久的上海日本人学校需要外聘一名汉语教师。通过层层筛选,我被上海市外国机构人员服务处录用,派到上海日本人学校兼职教汉语,成了该校首任汉语教师。

 美国思想家、诗人爱默生说过:只要有所事事,有所追求,人就把握住了机运的车轮。经过几年的教学实践积累,我为日本中小学生量身定做的教材《开开心心学汉语》正式出版,并连续多年在上海日本人学校使用。也正因为有着与高校成人对外汉语教学不同的视角,2003年我申请的“针对日本来华中学生汉语学习心理的对外汉语教学法研究”获得了国家汉办“十五”科研规划项目的立项。

 随着我校留学生数量的增多、国际化规模的扩大,学校对青年教师的国际化视野要求也日益提高。1994年5月学校派我赴东京昭和女子大学进修一年。当时女儿还在上幼儿园,但我很珍惜这个宝贵的机会,在全家的支持下远赴东瀛,主攻方向是“汉日言语对照”研究。这一年的进修,开阔了视野,深化了汉日语言文化方面的认识,日语水平有了进一步提高。回国后,在对外汉语教学尤其在对日汉语教学方面有了针对性更强的教学策略。应学院的要求,半年后开设了面向日本留学生的《日汉翻译》课程。 
 我想,正是有了当时日语方面的储备,这样的机会才会眷顾于我,我才会一步一个脚印,走得踏实,并取得了一些成绩。

 储备,除了知识,还有技能,甚至个人修养的不断完善。金无足赤,人无完人。有一天在“加多宝·开讲啦”电视节目中,听到著名演员刘德华说到:通过后天的努力,把自己身上的缺点改掉,你也会成为一个既成功又可爱的成功人士。听后很有感触,我想,青年朋友在修养方面的储备今后也会越来越重要。 
 其实,储备也是成长。正像毛竹,最初的四年,它的根扎得很深、很广、很结实。人生有了这样的储备,就不会畏惧挫折、失败。因为机会总是给有储备的人;有储备的人,也具有抓住任何可能机会的能力。

福山大学孔子学院副院长 石慧敏