『三』という数字

 手許に少々黄ばんだ一冊のNHKラジオ講座のテキスト『レベルアップ中国語』2014年7月号がある。表紙に書かれてあるキャッチコピーは「中国のSF小説を読んでみよう」。教材として取り上げられていたのは、いまバラク・オバマ前大統領やFacebook創業者のマーク・ザッカーバーグCEOも愛読書に挙げている、話題のSF小説《三体》である。

 はじめは「中国語のSF世界とはいかがなものか?!」と、それまで接したことのなかった中国語の世界を感じようと耳をそばだてて聞いてはみたものの、実のところ中国語の能力の問題(?)もあり、その世界観に着いてゆけず、3,4回で投げ出してしまった。その《三体》がこの夏、待望(?)の翻訳本が出版され話題を呼んでいる。

 《三体》はもともと水利関係のエンジニアだった劉慈欣という作者が書いたSF小説で、2006年雑誌《科幻世界》に連載、2008年に重慶出版社から単行本として刊行された。この作品は“地球往時”3部作の第1部にあたる。本作、またこれを含む「地球往事」三部作は中国において最も人気のあるSF小説の一つとされ、2015年時点で50万組以上を売り上げている。また、2014年以降英語訳や韓国語訳が出されるなど各国で人気を博しているほか、今年の7月待望の日本語訳が出版された。

 《三体》とは、作中で登場するはコンピューターゲームの名前であるが、その語源「三体問題」は「古典力学において、重力ポテンシャルの下、相互作用する三質点系の運動の問題。天体力学では万有引力により相互作用する天体の運行をモデル化した問題として、18世紀中頃から活発に研究されてきた。運動の軌道を与える一般解が求積法では求まらない問題として知られる。」という難解なもの。

 あらすじを少々述べると、「文化大革命の狂乱の中で物理学者の父を失った葉文潔。政治的に危険な立場に追い込まれた彼女だったが、天体物理の専門知識を必要とした最高機密の計画の終身参加と引き換えに、紅岸基地に勤務することになる。そして四十数年後。ナノテクノロジーの研究者汪淼は、「科学フロンティア」と呼ばれる物理学者の集団に所属する学者達が次々と自殺していく事件に協力を頼まれる。事件を追うに連れ、物理法則を無視した不可解な出来事や、VRゲーム「三体」と出会う汪淼。ゲーム「三体」は現実の地球とは違う法則に支配されていた仮想の地球。太陽が3つある惑星《三体》の異世界文明を体験するゲーム」。そのゲームの世界へ登場人物たちが徐々に引き込まれてゆくという、空間や時間軸を縦横無尽に飛び交う壮大なスケールの物語。邦訳ではあるものの、いまやその世界に引き込まれつつある。

 さて、この「三」という数字、中国の偉い人がスピーチの最後によく「三つ」に話を纏める。そういえば40年前の学生時代、国際関係論の卒論指導教官(日本人)も、当時の「米中ソ」三国間関係やまだ対外開放されていなかった中国の将来を語る際、必ず「三つのシナリオ」を挙げていた。(三つ仮説を挙げれば、どれか一つは当たらずとも遠からず)

 『論語』の中でも「三」は幾度となく登場する。

曾子曰:『吾日三省吾身;為人謀而不忠乎? 與朋友交而不信乎?傳不習乎?」
曽子は言った:「毎日ふりかえることが三つ。人にまごころをつくしたか。友だちにすまないことはないか。教えは身についているか。」

子曰:「三人行、必有我師焉」
孔子は仰った: 「三人連れ立って行動すると、必ず自分の手本となる人がいる。」

 また、孔子は智・仁・勇の三つを大いなる徳(三德)と見なしている。
子曰:「知者不惑,仁者不憂,勇者不懼。」
孔子は仰った:「智の人は惑わず、仁の人は憂えず、勇の人は恐れない」

 このほかにも、「三友」「三楽」「三愆(けん)」「三戒」「三畏」「三変」等々、三つにまとめられたものがよく出てくる。

 この「三」という数字、バミューダ・トライアングルではないが、どうも不思議な力を有しているようで、非常に強固な関係を生み出す一方で、そのバランスが一旦崩れたり、その三極の生み出す空間にスポイルされたりすると、不可思議な力関係、空間を生むようである。
先日大学でアジア経済を講義している際、「米中露三大国間におけるパワー・バランス」や「中日韓三国間FTAの可能性」について話が及んだ際、「うーん、ひょっとしてこれらの三国間の関係も、《三体》同様三極ゆえの不可思議な力が働いているのでは?」と、ふと余計なことを考えてしまった。

 ちなみに「地球往事」の《三体》の続編は、第二部は《黒暗森林》(科学の発展を封じられた人類が三体人に試みる反撃と、その過程で知る宇宙の掟が、第三部の《死神永生》では1453年の中世の地球からはるか未来までを舞台に、地球も三体もその一部でしかない宇宙の運命が語られている。

 暫くこの《三体》の異空間をさまようことになりそうだ。

                                  (平山 記)