異文化交流の原点としての漢字 ―“日中韓文化交流”の通底として―

 かれこれ30数年前のこと、勤めていた銀行から廖・高碕事務所、日中覚書事務所の後身である日中経済協会に3年間出向し、色々と貴重な経験を積ませてもらった。
 そのころ、協会の岡崎嘉平太先生が常勤顧問をされていた。先生は第二次大戦終結後も上海に留まられ、日中両国の厳しい関係の狭間で戦後処理にあたられた、帰国後は全日本空輸会長などを歴任されるなど、実業界をけん引されてこられた。90歳を過ぎても矍鑠としておられ、週に2,3回当時青山一丁目にあった事務所に顔を出され、まさに『井戸を掘った人』として日中両国の架け橋の役を務めておられた。
 大変気さくな方で、若い職員がオフィスで昼食をとっていると顧問室で一緒に食事しようと声をかけられ、ご自分は決まって素うどん一杯と稲荷ずし二個を召し上がりながら、楽しそうにいろいろなお話をしてくださった。その一つに中国の文字改革の話がある。
 先生は周恩来総理からの信頼が厚く、文字改革についても周総理から直接お話を伺っており、「日本も中国が今進めている文字改革を参考にして、簡体字を取り入れたらよいのでは」とまで語っておられた。

 中国の文字改革は、1950年代に国務院の直属機関として設けられた中国文字改革委員会によって、これら民間の俗字や当て字を整理し、合理的で普遍性のあるものを採用し整理した一連の作業である。その結果、1964年に《简化字总表》という簡体字の一覧が一応完成した。この《简化字总表》には2,238字が収録されていたが、のちに若干修正があり、1986年新版では2,235字になった。その《简化字总表》が発表される6年前の1958年1月に《当前文字改革的任务》という報告が政治協商会議において発表されているのだが、その報告者が周恩来総理自身であった。
 報告の内容は、(一)漢字の簡略化、(二)普通話の普及、(三)漢語拼音方案の制定と推進の三部からなり、建国以来の文字改革の仕事の総括と取り組まなければならない仕事とが取り纏められた。
 この報告の中で周恩来総理は「同时,我们也采用了某些日本简化了的汉字。」(同時にまた、われわれはいくつかの日本で簡略化された漢字も採用した。)と、述べている。
 中国語学者上野恵司氏は「日本で簡略化された漢字の例としてしばしば挙げられるものに『国』がある。中国には、『國』の略字として囗(くにがまえ)の中に『王』の字を書いた俗字が存在したが、これでは人民中国にふさわしくないとして、採用に異を唱える人が多かった。議論の末、日本で当用漢字として使われている『国』の字がよかろうということになり、これを採用したというのである。」と記している。 

 最近は『和製漢語』という言葉も耳にする。中国語の古典や近代中国語の語彙・語法・文法を基盤として参照し、ときに日本語の語彙・語法・文法の影響を交えて造くられた語彙でのことで、文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、や社会主義、共産主義、人民、共和国、といった言葉まであり、その数は800語以上に及び、多くは明治時代以降中国人留学生によって中国に逆輸出されたとしている。

 また、簡体字について先日、新聞のコラムにこんな面白い記事があった。少々長くなるが引用する。
「いま見ることができる最古の漢字『甲骨文字』はだいたい三千年ほど前のものだが、その中に『人』を二つ横に並べた『从』という漢字がある。『人』は人間を横から見た姿をかたどった象形文字で、それを二つ並べた『从』は、ある人が前の人につきしたがっていることから、『したがう』という意味を表す。この『从』に、交差点を表す『行』の左半分(つまり『ぎょうにんべん』)と、『走』の下半分(足跡を前後に並べた形)を加えて、『從』という字形が作られた。
『從』は、ある人が前をゆく人の後ろにつきしたがいながら、道を歩くことを表す漢字だが、現代中国では古代の『从』をそのまま『從』の簡体字とした。十一画もある『從』を、『从』とわずか四画で書けるようにしたのだから、大胆な簡略化である。
 いっぽう日本では戦後の国字改革でいくつかの漢字の形が変えられ、『したがう』と読む漢字は『從』から『従』となった。だがこの漢字が『したがう』という意味を表すのは、旧字体に含まれる《从》に由来する。《从》はいわばこの漢字の心臓部なのだが、その部分がわけのわからない記号にされてしまった。
『從』を『従』とすることで、全体の画数は一画だけ減ることになったが、そのかわりにもっとも重要な部分だった「从」がなくなってしまった。
『从』と『従』に見える簡略化については、あきらかに中国の方に軍配をあげるべきである。」
(※2019年7月21日 日本経済新聞 阿辻哲次『遊遊漢字学』)

 最近世界、中でも東アジア近隣諸国との関係がいろいろと喧しい。日本と中国、韓国は文字通り“一衣帯水”の隣国であり、三国間の安定した友好関係の維持こそが、外交の“一丁目一番地”ということができる。その交流の礎が古代中国で生まれた“漢字文化”の伝播によることは言うまでもない。
 つい5年前の2014年11月、横浜で日中韓文化相会合が開かれた際、三国間の文化政策を協議する日中韓文化相会合が開かれた際、下村博文文部科学相(当時)が、3カ国で共通して使われている808字の「漢字」を文化交流に活用するなど、「共通文化の漢字活用」を提案している。 
 三国間で“漢字”という共通の言語ツールの共通項およびその差異をじっくりとあぶり出しながら、それぞれの歴史や文化の形成の過程や相違点を再認識することは、捻じれて絡まってしまった「麺」の様になってしまった現在の三国の関係を解きほぐす端緒、一助になるのではないだろうか。

 最近の受講生(とりわけ大学生)は中国語を学ぶ際、わからない言葉が出てきても、すぐ誰かに聞くか、スマホで調べるか、で済ませてしまい、数千円もする辞典を購入するという初期投資をしない。だから、クラスは中級や上級に進んでも、語彙力もつかなければ、いつまで経っても、何回説明しても簡体字が覚えられない。(上記の『从』がいい例である)
 この後期からは改めて受講生に『中日辞典』購入を推奨し、簡体字の作られ方について時間をかけて説明し、漢字文化の共通性について少しでも理解してもらうことから授業を始め、漢字文化の持つ面白さを共有する授業を目指すこととしよう。
                                  (平山 記)